トーマス・マン アメリカ亡命時代の住居が「Thomas Mann House」として復活
トーマス・マンはヒトラーが政権を取った1933年、家族と一緒にスイスに亡命した。
さらにその後、居住地をアメリカに移す。
そして1941年、カリフォルニア州ロサンゼルスのパシフィック・パリセーズに住居を手に入れた。 マンは「7本の棕櫚と多くの柑橘類の木がある物件」を購入したことを兄ハインリッヒへの手紙に書いている。
この建物は、同じくドイツ出身の建築家JR・デイヴィッドソンによる設計だった。 そしてやはりマンと同様にドイツから亡命してきたベルトルト・ブレヒト、ブルーノ・フランクなどといった作家、芸術家、知識人たちの集うところとなった。
訪問者たちの中には当時まだ14歳だったスーザン・ソンタグも含まれていた。 このときの経験はのちに「ニューヨーカー」誌に投稿されている。
ソンタグはお茶が来るのを待ちながら、マンの仕事部屋が「散らかっているテーブル、ペン、インクスタンド、本、紙・・・そして本、本、本が床から天井まで届く書棚に、二面の壁にわたって詰まっていた」のを記憶している。
「トーマス・マンと同じ部屋にいるのはとてもスリリングな経験だった。しかし同時に、私は初めて見たこの個人図書館の中でサイレンが鳴るのを聞いたのである」。
しかし1952年、マッカーシズムがアメリカでの自由な生活に終わりをもたらそうとしていることを感じたマンは、一家ととともにヨーロッパへ戻った。
その3年後、トーマス・マンはスイスで死去した。
ヒトラーのナチスが台頭しワイマール共和国が終わりを告げたのち、マンはこう書いている。
「世界のどこに行っても、民主主義を当たり前のものとして考えることが出来なくなってきた」。
アメリカ滞在中のマンは、民主主義の再興、自由、そして亡命生活について自身の文学作品、講演、エッセイなどに書き続けてきた。 BBCを通して放送された「ドイツのリスナーたちへ」と題したメッセージを録音したのも、また『ファウスト博士』を執筆したのも、このロサンゼルスの自宅であった。
しかしマン一家がアメリカを去ってしまうと、その後40年間にわたってこの建物は放置され続けていた。
2016年8月、ついにこの家が売りに出されることになった。
亡命した偉大な作家が、意義ある数多くの仕事をした家はまぎれもなく文化遺産である。それがまさに失われようとしていた。
ルーマニア出身のドイツ人作家で2009年にノーベル文学賞を受賞しているヘルタ・ミュラーが中心となり、この家についてもっと注目してもらおうと国際的なキャンペーンが行われた。
この活動により、この家の保存に向けての動きが始まり、最終的にドイツ外務省がこの建物を買い取り大掛かりな改修工事を行った。
そして2018年6月、この家は「Thomas Mann House」と名付けられ、ドイツとアメリカの文化交換の場として活用されることになったのである。
(出典)
Germany buys California home where writer Thomas Mann lived in exile | Books | The Guardian
Opening of the Thomas Mann Villa in Los Angeles | ILAB