エドガー・アラン・ポー フェイクニュースと「クーピングによる死」という2つのエピソード

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アメリカ文学の父(の一人)であるエドガー・アラン・ポーにはさまざまなエピソードが残されているが、以下の2つは特に興味深い(文学とはほとんど関係のない話)。

 

フェイクニュース

1844年、エドガー・アラン・ポーは「New York Sun」紙上で、大西洋横断飛行についてのでっち上げ記事を発表した。これは、モンク・メイソンという人物が気球で飛ぶ物体に乗り、イギリスから大西洋を渡ってアメリカのサウス・カロライナ州サリヴァンズアイランドまでわずか75時間で到着した、という内容だった。

 

気球による飛行というのは当時すでに行われていたが、大西洋の横断に成功した例はなかった。そのためこのニュースは一気に広まり、話題の的となった。このニュースを読もうとSun紙の本社には人が列をつくってその新聞を手に入れようとしたという。

 

ポーによる気球の説明には、その飛行技術についてきわめて細かく描写されていた。一段落すべてを使って、どのようにその気球を「金がかかり不便な水素」ではなく石炭ガスでふくらませるか、詳しく書いている。気球の機材についてもリストアップしており、綱、計測器、望遠鏡、2週間分の食料が入った樽、飲料水、衣類などに加え、コーヒーウォーマーまで含まれていた。このコーヒーウォーマーは水酸化カルシウムで温めることが出来るもので、火を使わずに発熱する画期的なものだった。

 

加えて、この記事には実際に気球に乗ったとされる人物の詳細な日誌の抜粋まで書かれていたのである。

 

しかし、この記事はそのすべてがポーによる創作だった。The Sun紙の編集者たちは新聞を発行してからそのことに気づき、2日後に訂正記事を載せた。

 

 

 

政治ギャングたちによる誘拐監禁が死因か

1849年、ポーはニューヨークを離れリッチモンドへ向かった。しかし結局たどり着くことはなく、バルティモアにあるバーの前に現れた。精神錯乱状態で、体に合った服を着ておらず、うわごとをしゃべっていたと言われている。通りがかりの人がポーを病院へ運んでくれたが、結局何が起こったのか説明できるような状態ではなかった。

 

その数日後、ポーは死去している。

 

ポーの死因は「脳の炎症」および「脳充血」と言われているが、これは事実上アルコール中毒症を表す。しかし現代の学者たちはこの診断をそのまま受け取ってはいないらしい。

 

彼の精神状態はおそらく狂犬病か梅毒が原因であるというのが今の最も強力な見解である。一方「酒乱の詩人」というポーのイメージは、死後に流布された誹謗中傷だったとされている。

 

ポーの愛読者の中には、彼の死についてもっとひどい説を信じている人たちも少なくない。

 

1800年代、大きな選挙の行われる前に政府の雇ったギャングたちがホームレスや弱者たちを捕まえ、「クープ」と呼ばれるところに監禁するという事件が頻発していた。「coop」とは小さな檻のことを指す言葉で、そこからこうした事件のことは「クーピング(cooping)」と呼ばれていた。ポーがこのクーピングの犠牲になったというのが、愛読者たちの一部が信じている説である。

 

ポーが発見された1849年10月3日は、バルティモアで選挙が行われた日だった。ギャングたちは道端で人を捕まえ暴行をふるった上、クープの中に閉じ込めておいた犠牲者たちを投票所へ連れてゆき、無理やり投票させるのである。

 

この説はあたかもポーの小説の一場面のような伝えられ方をしているが、これが事実だった可能性もある。精神錯乱やうわごとを発するなど、発見されたときのポーの状態はクーピングの犠牲者たちによくみられる状態だった。またギャングたちは犠牲者たちに複数の投票所で投票させるため何度も服を着替えさせていたことも分かっており、発見時のポーが体に合っていない服装を着ていた、という証言とも一致する。

 

いずれも物的証拠は残っていないが、ポーの死は文学史の中でももっともミステリアスな事件として語り継がれている。

 

 

 

出典:5 Facts About Edgar Allan Poe on His 210th Birthday | Mental Floss