ブロンテ姉妹を描いたTVドラマ『トゥ・ウォーク・インビジブル』

『トゥ・ウォーク・インヴィジブル(To Walk Invisible)』(2016年)はイギリスの作家、ブロンテ三姉妹を題材にしたテレビドラマである。

 

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ブロンテ姉妹については、イギリスの片田舎に暮らしながら文学作品を書いた3人であるということはよく知られており、『嵐が丘』や『ジェーン・エア』などは今でも読まれ続けている。

 

「イギリスの片田舎に暮らしながら創作活動をする」などというといかにも優雅なイメージを持ってしまうが、実際は彼女たちが苦しい家庭環境や社会の男女差別を乗り越えながら作品作りをしていたことが、このドラマを観るとよく分かる。

 

女性で文学作品を発表するような人たちがほとんどいなかった時代、女性だというだけで文学など生業とするべきではないと決めつけられていた時代、そういう時代背景が強くはっきりと描かれている。とくにシャーロットはそういう風潮に対する反抗心の強い女性として登場する。

 

 

 

ブロンテ姉妹にはブランウェルという名前の兄弟がおり、この男性はシャーロットの弟、エミリーの兄にあたる人物だが、とにかくだらしない放蕩息子として登場する。

 

こういう男性がこの姉妹の身近にいたということもあまり知られていないかも知れない。だらしのない、しかし一方で「唯一の息子」として親から可愛がられ特別扱いされていた男性が近くにいたということが、同じ家庭で暮らすブロンテ姉妹に影響を与えないはずがないだろう。

 

ドラマ全体がこのブランウェルという男性の没落と、ブロンテ三姉妹の物書きとしての成功を交差させて描いており、ストーリーとしてもよく出来ていると感じた。

 

印象的だったのはエミリー・ブロンテがとても勝気で、人に媚びず、相手が誰であろうが自分の主張を曲げない、そんな強い女性として描かれていたことだ。エミリーのキャラクターの際立ち方はこのドラマの魅力の一つだったと思う。

 

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三姉妹でもっとも年上のシャーロットはやはり「お姉さん」らしく、ほかの二人を引っ張ってゆき、行動力もある女性である。もしあえてこのドラマの主役を選ぶとしたらシャーロットになるかもしれない。

 

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また末っ子のアンは二人の姉のみならず家族全員のことを思いやる優しい存在で、これも末っ子らしいキャラクターとして重要な位置を占めていた。

 

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基本的に一家族のメンバーしか出てこないドラマだが、その中でもエミリーとアンは仲良く、エミリーはどんどんと落ちぶれていくブランウェルに寄り添ってあげる一方、シャーロットとエミリーは口論を繰り返し、シャーロットは堕落していくブランウェルを見放していく、そういう様子が全体を通してつかむことが出来る。

 

数人で構成された家族でも、そこにいろいろな関係があって、同じ家族、同じ姉妹のあいだの性格の違いもよく表れていた。

 

おそらくこのドラマで取り扱われている最大のテーマは、当時の女性たちが詩集や小説を出版するにも偽名を使わざるを得なかったという男女差別の実態だと思う。

 

有り余る才能があり、それを用いて傑作を作り上げても、書き手が女性だというだけで圧倒的な劣位に置かれる状況の中、ブロンテ姉妹たちは性別不明のペンネームを使うことでこの偏見を乗り越え、出版にこぎつける。

 

彼女たちの聡明さに敬服するとともに、当時の男性社会の醜さや愚かさ、さらにはそういうものが今の「#Me Too」の時代にも引きずられていることが、とても情けないとも感じた。

 

冒頭に述べた通り、彼女たちは決して優雅に文学生活を過ごしたわけではなく、少なくともこのドラマを観る限り、辛い家庭生活と社会にはびこる性差別を乗り越えて何とか書き残した傑作が今日になっても読み継がれているのだ、ということを思い知らされた。

 

トゥ・ウォーク・インビジブル (字幕版)

 

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ひとつガッカリしてしまったのは、このドラマの最後で、イギリスにあるブロンテ博物館の中の様子が突然映し出されたことだ。

 

今まで19世紀半ばのイギリスの世界にどっぷりつかっていた視聴者は、突然現代の画面に切り替えられ、博物館の中を歩いている様子を見せられる。こういうことをされると、結局このドラマもブロンテ博物館の宣伝にすぎなかったのではないかと思ってしまい、正直言ってがっかりしてしまう。