詩人シルヴィア・プラス 手紙から見えるその波乱の人生

 

 

アメリカの詩人シルヴィア・プラスは30歳の若さで死去した。

 

その短い生涯の中で、200編を超える詩のほかにラジオ劇、子供向けの本、短編、日記や回想録、小説、などを残している。

 

くわえて、彼女は長期間にわたる日記、家族や友人らに宛てた大量の手紙も残した。

 

2017年、彼女が1940年から1956年にかけて書いた手紙を集めた書簡集『The Letters of Sylvia Plath, Volume 1: 1940-1956』が出版された。

 

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(1957年から1963年までの手紙を集めた同『Volume 2』は来年の10月に刊行予定)

 

プラスは鮮やかで、人を動かす言葉で文章を書く人である。

 

手紙の中では政治、文学、自身の学業や恋愛、そして自由奔放な文学への野望とそのためのプランなど、様々な話題を取り上げている。

 

書簡集の『Volume 1』は1940年、プラスが8歳のときに両親に宛てたメモ書きから始まる。

 

それに続き、ボストン郊外のウェルズリーでの少女時代の様子が書かれた手紙を読むことが出来る。

 

1940年に父親が亡くなっているが、プラスの手紙の中にはそのことがほとんどふれられていない。

 

彼はボストン大学教授で、高名な生物学者であった。

 

癌と診断されたが治療を拒んだことで亡くなったが、本当の死因は治療可能な糖尿病であったことが判明したのである。

 

膨大な量の手紙の中には、スミス大学での勉強についても記されている。

 

スミス大学でのプラスは、オリーブ・ヒギンズ・プラウティという小説家が資金提供をした奨学金により勉学を続け、優秀な成績をおさめていた。

 

プラウティはその後のプラスの人生を通して、スポンサーでありメンターでもあった人物である。

 

プラスはスミス大学ではW.H.オーデンらとともに学び、「Nation」や「Christian Science Monitor」などに作品が掲載されるなど評価を高めていった。

 

しかし、友人エドワード・コーエンへの手紙に、プラスはこう書いている。

 

「オフィスと地元の精神科医との間を行き来する生活が始まりました。外来患者としてショック療法を受けました。唯一の心配事は、いつ、どうやって自殺を図るか、ということです」。

 

彼女は母親の持ち物の中から50錠の睡眠薬を盗み取った。

 

そして実家の表玄関の下に潜り込んで、その錠剤を大量に飲み込んだ。

 

「ありがたいことに、私が永遠の忘却であると信じていた渦巻く暗闇に負けてしまったのです。愚かにも、睡眠薬を飲みすぎて吐き出してしまい、暗闇の中で目を覚ましてしまいました。結局、私の兄弟が私の弱々しい叫び声を耳にしたのです」。

 

マックリーン病院(またはマックレイン病院)で治療を受けた後、彼女はスミス大学に戻る。

 

そしてフルブライト奨学金を得て、イギリスのケンブリッジ大学に留学することになった。

 

イギリスに渡った彼女は、そこで彼女の人生を決定する男と出会う。

 

高校時代から大学にかけていろいろな男性とロマンスを楽しんできたプラスだったが、今回は違った。

 

1956年3月、プラスは母親への手紙でこの男への新しい恋の芽生えについて言及している。

 

「ところで先週、あるパーティでケンブリッジ大学卒業の素晴らしい詩人と出会いました。 (彼はロンドンで働いているので)また会うことはないと思いますが、そのあと彼について最高の詩を書くことが出来ました。対等な関係になるのに十分な強さを持つ、この国で知り合った唯一の人です」。

 

別の手紙で、彼の名前を明らかにしている。

 

「彼の名前はテッド・ヒューズと言います。背が高く、がっしりしていて、無造作な茶色の髪の毛をしており、角ばった顔をし、デリック(=油井やぐら)のような手をし、ディラン・トーマスよりもとどろくような、豊かな声の持ち主なのです」。

 

出会いから4か月後、プラスとヒューズはロンドンで極秘に結婚する。

 

秘密にしたのは、プラスがフルブライト奨学金の権利を失うことを恐れてのことだった。

 

式にはプラスの母親だけが出席した。

 

書簡集の『Volume 1』はヒューズが彼女と一緒にケンブリッジに行けるようにするため、この結婚を明らかにすることを決意した、という手紙で終わる。

 

ヒューズとプラスという二人の詩人の結婚は、文学史上もっとも議論され続けてきたものだった。

 

この結婚生活の破綻が、1963年のプラスの自殺につながったのである。

 

二人の娘であるフリーダ・ヒューズは「詩、散文、日記、そして書簡集を出版することを通して、私の母は存在し続けるのです」と語っている。

 

The Letters of Sylvia Plath Volume 1: 1940-1956

 

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