グーグル・ドゥードルに登場したヴァージニア・ウルフってどんな人?

 

 

 

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1月25日にグーグル・ドゥードルで登場したヴァージニア・ウルフは、現在ではイギリスで最も優れた小説家の一人と目されている。

 

そしてその影響は今日の文化・芸術の世界にも広く及んでいると言えるだろう。

 

生涯

ヴァージニア・ウルフは1882年1月25日、ロンドンのケンジントンに生まれた。本名「アデリーン・ヴァージニア・スティーヴン」(Adeline Virginia Stephen)。

 

父は歴史家で批評家のサー・レズリー・スティーヴン、母はその美貌で知られたジュリア・スティーヴンで、娘のヴァージニアは親密な家庭の中で文学に親しみながら育てられた。

 

1895年、母ジュリアが死去する。

 

このとき、ヴァージニアは初めて精神を患い、この精神疾患はその後の生涯にわたり彼女に付きまとうことになる。

 

1904年には父レスリーも亡くなり、彼女はさらに大きな精神的打撃を受けた。

 

ヴァージニアは若い時から執筆を始めていた。

 

1904年12月には初めて文章が出版され、翌1905年には「Times Literary Supplement」への寄稿を開始している。

 

1912年にはレナードと結婚し、著名な作家・知識人たちのグループである「ブルームズベリー・グループ」に夫とともに参加した。

 

ブルームズベリー・グループは20世紀初頭のロンドンで大きな影響を持つ存在であった。

 

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1915年、最初の小説『船出』(The Voyage Out)を出版する。

 

その後の執筆活動を続けたウルフは、この時代の最も有名な小説家・エッセイストとしての地位を確立していった。

 

とくに第一次・第二次の両大戦間にウルフはたくさんの本を出版した。

 

最後の小説『幕間』(Between The Acts)は1941年、彼女の死の直後に出版されている。

 

この最後の作品の最終稿を書き上げた後、ウルフはうつ病に苦しみ始めた。

 

この時期の彼女の日記には、日々強くなってゆく死への執着がほのめかされている。

 

1941年3月28日、ウルフはサセックスにある自宅近くを流れるウーズ河に身を投げた。当時59歳。

 

遺体はその3週間後に発見された。

 

夫に宛てた遺書を残しており、それは「愛する人へ。また心を病んでしまうのは間違いない気がします」という文章で始まっている。

 

「私たちがまたあのようなむごたらしい時間を切り抜けることができるとは思えません。そして今度はもう回復することはないでしょう」。

 

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影響

ウルフの残した作品群は彼女の死後も長らく受け継がれてきた。

 

とくに1970年代に入りフェミニズム運動が沸き起こるとともに、彼女の存在の重要性が再認識された。

 

2014年には、イギリスのナショナル・ポートレート・ギャラリーが3か月にわたってウルフを讃える展覧会を実施した。

 

またウルフは、マーガレット・アトウッドやガブリエル・ガルシア・マルケスらが影響をうけた作家としても知られている。

 

ちなみに2018年1月25日にウルフの136回目のバースデーを記念して登場したグーグル・ドゥードルは、ロンドンを拠点に活躍するイラストレーターLouise Pomeroyによる作品が採用されている。

 

ヴァージニア・ウルフは合計で9つの小説を出版した。

『船出』The Voyage Out (1915)

『夜と昼』Night and Day (1919)

『ジェイコブの部屋』Jacob's Room (1922)

『ダロウェイ夫人』Mrs Dalloway (1925)

灯台へ』To the Lighthouse (1927)

『オーランド―』Orlando (1928)

『波』The Waves (1931)

『歳月』The Years (1937)

『幕間』Between the Acts (1941)

 

またノンフィクションの作品も残しており、とくに1929年の『自分自身の部屋』(A Room of One's Own)や1938年の『三ギニー』(Three Guineas)といった長編エッセイが有名である。

 

 

 

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