カミュと女優マリア・カザレスの往復書簡集

 

 

 

2017年11月、『Correspondence (1944-1959)』が出版された。

 

作家アルベール・カミュと女優マリア・カザレスとの往復書簡集である。

 

f:id:moribayashitaro:20180314164029j:plain

 

カミュは1944年からカザレスと愛人関係にあり、二人がやり取りしていた多くの手紙が残されていた。

 

手紙は1959年が最後になっているが、それは1960年1月4日にカミュが自動車事故で死去しているからである。

 

マリア・カザレスについては、マルセル・カルネ監督の映画『天井桟敷の人々』(1945年)のナタリー役がもっとも有名かも知れない。

 

f:id:moribayashitaro:20180314165231j:plain

 

舞台でも活躍した女優で、コメディ・フランセーズの一員として世界各国の舞台に立った。

 

1944年3月、カミュはカザレスと知り合う。

 

当時カミュは30歳、カザレスは21歳。 演劇への情熱が近づけた二人の男女であった。

 

当時のパリはナチに占領されており、カミュレジスタンス運動に参加していた。 カミュの母親はスペイン系であり、また彼には結核の持病があった。

 

一方カザレスもスペイン出身で、1936年14歳の時にパリに移住した。 彼女の父親は大臣を務めた政治家で、カミュと同じく結核に悩まされていた。

 

1944年6月6日、カミュはカザレスを自転車のハンドルの間に乗せ、パリの通りをこいで走っていた。

 

その夜二人は結ばれた。 この日はいわゆる「ノルマンディー上陸作戦」の日である。

 

そのとき、カミュ夫人フランシーヌはアルジェリアのオランに疎開していた。

 

しかし1944年10月、フランシーヌはパリに戻ってくる。

 

これを機に、カミュとカザレスはその愛人関係に終止符を打った。

 

f:id:moribayashitaro:20180314162927j:plain

 

しかし1946年6月6日。あの日からちょうど2年後。

 

サンジェルマン通りを歩いていたカミュは、ばったりとカザレスと再会した。 運命が再会に導いたということは、二人にとって疑いようのないことだった。

 

その後カミュの衝撃的な死まで、二人の関係は続いたのである。

 

1956年、カザレスがブエノスアイレスの劇場で3,600人の観衆を前にスタンディングオベーションを受けた日にも、また翌年、カミュノーベル文学賞を受賞したときにも、二人は手紙や電報で連絡を取り合っている。

 

また、カミュは自分を取り巻く文学サークルへの懐疑やイラつきなどを訴えたり、カザレスは演劇界への失望を綴った手紙も残されている。

 

しかしカザレスはカミュの唯一の愛人ではなかった。

 

3人の愛人のうちの一人だったのである。

 

フランシーヌ夫人は夫の不倫に悩み続け、1954年には自殺未遂を起こしている。

 

彼女は1979年に亡くなった。

 

フランシーヌの死後、娘のカトリーヌはカザレスと面会した。

 

そしてカミュがカザレスに送った手紙を買い取ったのである。

 

これは書簡集として出版される本の1,265ページに相当する分量であった。

 

カトリーヌは、この手紙の歴史的、そして文学的価値を考え、出版に踏み切ったと語っている。

 

 

 

www.irishtimes.com