サルトル未完の長編小説『自由への道』 その ”完成” までの道のり

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1938年4月、ジャン=ポール・サルトルは小説『嘔吐』を発表した。

 

その3か月後の7月、彼はシモーヌ・ド・ボーヴォワールにこう書き送っている。

 

私は突然次の小説の主題、全体の構成、題名を発見した。主題は「自由」だ。

 

“次の小説” のもともとの題は『Lucifer』といい、「反乱」と「誓い」の二部構成になっていた。

 

1938年の秋、サルトルはのちに「分別ざかり」となる小説を書き始め、翌年にかけて断続的にその仕事をつづけた。

 

1939年9月初旬、サルトルフランス軍に招集され気象観測を担当させられる。気象観測の定期的な任務以外はとくに厳しい仕事ではなかったようで、サルトルは自分の仕事につぎ込む時間を比較的多く取ることができた。

 

彼は「分別ざかり」を書き続け、従軍日記を記し、数多くの手紙を友人たちに書き送っている。ある時などはわずか13日間でこの小説の73ページ分を書き終えたこともあった。

 

この小説を1939年末には完成させたサルトルは、その後すぐに続編を書き始めた。 第二部となるその小説は、当初「9月」というタイトルが付けられていた。これは1938年9月に行われた「ミュンヘン会談」がもとになっている。

 

しかし正式なタイトルは「猶予」となる。サルトルはこの原稿に何度も手を入れ、書きあがるとボーヴォワールに送って批評を仰いだ。

 

1943年11月、「猶予」が完成した。

 

「分別ざかり」も「猶予」も、ある意味自伝的小説と見ることができる。慣れ親しんだパリでの生活を離れ従軍生活を送ることで、当時のサルトルは内向的にものを考えるようになっていたのである。

 

登場人物の「マチウ」はサルトル自身、「イヴィック」はボーヴォワールの生徒だったオルガ・コサキエヴィッツ、そして「ボリス」はコサキエヴィッツと結婚したジャーナリスト、ジャック=ローラン・ボストが、それぞれモデルになっている。

 

『第一部 分別ざかり』と『第二部 猶予』は1945年、第二次世界大戦終了直後の9月に2冊同時に出版された。

 

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このころには、サルトルはフランスでもっとも著名な知識人として知られるようになっていた。しかし、この二つの小説に対する評価は真っ二つに分かれた。

 

ジャン=ポール・サルトルは現代のフランス文学界に独自の地位を確立した。彼の力強い才能は、その類まれな輝かしさによって証明されたのである。

 

もしサルトルの野望が文学史の扉を押し開くことだったのであれば、彼は成功したのである。すべての優れた小説家と同じく、彼は自分自身の宇宙を持つという特権を楽しんでいるのだ。

 

といった高評価が出された一方、

 

もし本の臭いをかぐことができるのなら、サルトルの最新刊に鼻を近づけてみるがいい。サルトルの目的は、間違いなく、排泄物を通して人生を描き、存在の価値をドブやゴミのレベルにまで引きずり落とすことなのだ。

 

登場人物の描き方が下手。

 

など、容赦ないこき下ろしも多かった。

 

第三部となる「魂の中の死」は「Les Temps Modernes」に1949年の1月から6月にかけて連載された。同じく1949年に出版されたが、こちらも評価は芳しくなかった。

 

結局、サルトルが出版したのはこの『第三部 魂の中の死』までで、『自由への道』は未完に終わる。

 

しかしサルトルは第四部も途中までではあるが、書き進めていた。

 

ジャン=ポール・サルトルは1980年に死去。

 

その翌年にフランスでサルトル全集が出版された際、『第四部 最後の機会』の一部である「奇妙な友情」が出版された。まったく整理されていないサルトルの手書きの原稿を、サルトルの研究家が何とかまとめることで出版にこぎつけたという。