フローベール『ボヴァリー夫人』をめぐる5つのエピソード

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1. 不倫の描写があまりにも直接的すぎて当時のフランスの読者たちに衝撃を与えた

ボヴァリー夫人』は、エンマという農家出身の女性が彼女の父親を治療した医師シャルル・ボヴァリーと結婚するが、その後まもなく夫や夫婦での田舎生活に幻滅してしまう様子が描かれる。 とくにシャルルの患者に招待されて参加した上流社会の舞踏会を経験してから、エンマのドラマチックな人生への夢想は大きくなってゆく。結局、彼女は不倫に走り、一方で夫の金を遣い込んでしまい、破滅の道を進んで行くのである。

フローベールがこの小説の中で描いた不倫の描写は、当時のフランスの読者たちに大きなショックを与え、結果としてわいせつ罪の裁判にまで発展する。 この裁判はわずか一日で終わり、フローベールとこの小説を連載した「ラ・レヴュ・ド・パリ」誌はその一週間後に無罪判決が出された。 そうしてこの裁判沙汰の後、『ボヴァリー夫人』は1857年に2巻本として出版された。

 

2. 舞踏会の場面は作者フローベール自身が経験した実際の舞踏会が題材

ボヴァリー夫人』の中でもっとも記憶に残る場面のひとつに、エンマがシャルルの患者であるダンデルヴィリエ侯爵邸で開催される舞踏会に参加するところがある。 ダンス、豪華な食事、上流階級の人たちなど、この舞踏会で経験したことがエンマの豪華な生活への欲望を刺激することになる。

この場面の描写は実際にフローベールが経験したことがもとになっている。 1836年、まだ14歳だったフローベールは、地元の貴族が開催した舞踏会に両親とともに出席している。 このときの経験はとても強い印象を残したようで、『ボヴァリー夫人』だけでなく、1837年に書いた短編「Quidquid Volueris」や1850年に友人に宛てた手紙の中にもこのときの経験が書かれている。

 

3. フローベールの書いた恋文に『ボヴァリー夫人』の創作過程が書き残されている

ボヴァリー夫人』が発表される直前に、フローベールと詩人ルイーズ・コレとの1年間にわたる愛人関係が終わりを告げた。

フローベールは1846年、コレと知り合った。 彼の妹カロリーヌがお産の直後に亡くなって間もないころだった。 フローベールはジェームズ・プラディエという彫刻家にカロリーヌの胸像の制作を依頼し、妹のデスマスクを持ってアトリエを訪れた。 すると、そこで別の作品のために一人の美しい女性がモデルを努めていた。 それがフローベールとコレとの出会いだった。

フローベールとコレは愛し合うようになり、その後も断続的に関係が続き、数多くの手紙がやり取りされた。 フローベールのコレ宛て書簡の多くには、そのとき書き進められていた『ボヴァリー夫人』の進捗状況がつづられている。

フローベールがコレに宛てた最後の手紙は1855年に書かれている。 そこには「あなたが話をするために私のアパートに3回来たと聞きました。私は在宅していませんでした。そして、あなたのために在宅していることはこの後も二度とないでしょう」と書かれていた。

 

4. 筋書きは実際の不倫事件にインスパイアされたもの

ボヴァリー夫人』の筋書きは、実際の出来事がもとになっていると言われている。

デルフィーヌ・ドゥラマールというフランス人の女性は、17歳の時、田舎の実家を離れて保健衛生官と結婚した。 シャルル・ボヴァリーと同じく、この保健衛生官もいわゆる男やもめであった。 結婚後デルフィーヌは浮気に走り、夫の金を下らない遊びにつぎ込み、最終的に莫大な負債を抱え込み、27歳で服毒自殺を遂げてしまうのである。

 

5. きわめて身近な存在がエンマ・ボヴァリーのモデルに

その一方で、フローベールはこのエンマ・ボヴァリーという人物をどのようにして創造したのかを問われると、「ボヴァリー夫人は私自身のことです」と答えた、という有名な逸話が残っている。

しかし、エンマ・ボヴァリーの空想好きで気まぐれな性格は、フローベールが当時関係を持っていたルイーズ・コレにインスパイアされたものだ、という説を唱える専門家も多い。

また、彫刻家ジェームズ・プラディエの妻も浮気者で金遣いが荒かったと言われており、やはりフローベールの創り出すエンマに影響を与えている可能性が高い。

 

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