チャールズ・ディケンズ『大いなる遺産』をめぐる9つの知識

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1. 当初は「グロテスクな悲喜劇」をもくろんでいた

『大いなる遺産』はディケンズ作品の中でもあまり明るくない小説だが、もともとはユーモアのあるものを書こうとしていた。 友人あての手紙の中でディケンズはこう述べている。 「『二都物語』の時のように、ユーモアが足りないと文句を言いたくなることはないでしょう。ある子供と気立てのよいお馬鹿さんの二人が登場しますが、その関係が私はとても面白いと思います」。 別の手紙では「物語の流れ全体が、まれにみるおかしな形で発展していくのが私には分かる」とも言っている。

 

2. 私生活ではどん底の時期に書かれた

ディケンズが『大いなる遺産』を書き始めたのは1860年10月。 22年間連れ添い、10人の子供たちを産んだ妻キャサリンと別れてすぐだった。 ディケンズは一人暮らしを始め、若い女優エレン・ターナンと付き合い始めたころだった。 さらには、息子の一人がギャンブル癖から抜け出すことが出来ずに借金まみれになり、娘の一人はディケンズの気に入らない男と結婚してしまい、年老いた母親は認知症が始まっていた。 『大いなる遺産』を書き始めたときのディケンズは、こうした個人的な悩みを抱えていたのである。

 

3. エステラはディケンズの愛人がモデル

女優エレン・ターナンはウィルキー・コリンズディケンズの助力を得て書いた戯曲「The Frozen Deep」に出演するために雇われ、それが出会いとなった。 当時18歳だった。 始めエレンはディケンズからのアプローチを拒み続けたらしいが、結局彼の愛人となる。 『大いなる遺産』に登場する、美しいがあまり愛情表現をあらわにしないエステラというキャラクターは、とくに始めの頃にエレンから受けた印象がもとになっている、と多くのディケンズ伝記作家たちは見ている。 ちなみに「Estella」は「星」を意味するラテン語で、「Ellen Ternan」の部分的なアナグラム(つづりを入れ替えて別の言葉をつくること)だという説もある。

 

4. ミス・ハヴィシャムは実在の人物がモデル

1853年、ディケンズはロンドンで幼少年時代を過ごすことについてエッセイを書いた。 そこではミス・ハヴィシャムに似ている路上生活者について言及されている。

「その女性は「ホワイト・ウーマン」と呼ばれていた。彼女は上から下まで白ずくめの服を着て、白い婦人用の帽子の中から怖ろしく白いおさげを垂らしていた。彼女は思い上がった昔ながらの人物で、冷淡で型にはまった態度を取り、自分個人のことでひとり間の抜けた笑いを浮かべつつ気を動転させていた。間違いなく、ある金持ちのクエーカー教徒が彼女と結婚しなかったからである。あれは彼女の結婚衣装だったのだ」。

 

5. 書き下ろしではなく雑誌連載で発表

ディケンズの小説はすべて新聞・雑誌に連載されるかたちで発表されたものである。 『大いなる遺産』もその例外ではなく、ディケンズが発行人の雑誌「All the Year Round」に1860年12月から1861年8月まで連載された。 その後、その年のクリスマスに向けて10月に本として出版されている。

 

6. ベントリー・ドラムルはディケンズが嫌っていた出版業者がモデル

この小説の中で、エステラは主人公のピップではなく俗物ベントリー・ドラムルと結婚する。 この名前は、出版業者のリチャード・ベントリーを思い起こさせる。 ディケンズはこのリチャード・ベントリーが金をだまし取ったのではないかと疑っていた。 ディケンズはベントリーが発行していた「ベントリーズ・ミセラニー」の編集に携わっており、この雑誌上に『オリヴァー・ツイスト』を連載し大成功をおさめていた。 しかしベントリーとは何度か金銭事情をめぐって言い争いになっていたようだ。 結局ディケンズは『オリヴァー・ツイスト』の著作権を買い取ることになり、さらにこの『大いなる遺産』で “嫌な奴” として描くことで復讐を果たしたのである。

 

7. 登場人物たちの年表をつくるほど年齢設定に念を入れていた

『大いなる遺産』の創作ノートを見ると、ディケンズが登場人物たちの年表をつくっていたことが分かる。 ピップ、エステラ、ハーバートは小説のクライマックスの時点でみんな23歳。 マグウィッチは60歳、ビディは24歳、ジョーが45歳で、ミス・ハヴィシャムは意外に若く56歳、という設定になっている。

 

8. 一人称で書かれた珍しい作品

ディケンズの小説の中で一人称(「僕は」「私は」)のみで書かれているのは『デイヴィッド・コパフィールド』とこの『大いなる遺産』の二作品だけである。 (『荒涼館』は一人称と三人称の両方が用いられている。) ディケンズはピップの声がデイヴィッド・コパフィールドと同じように聞こえてほしい、と考えていた。 「この本は最後まで一人称で書き上げられるだろう。(連載の)最初の3週間のうちに、この小説の主人公はデイヴィッドのような少年であることが分かるはずだ」とディケンズは書き残している。

 

9. ブルワー=リットンのアドバイスでエンディングを書き変えた

『大いなる遺産』をいったん書き終えたのち、ディケンズは小説家エドワード・ブルワー=リットンのもとを訪ねた。 ディケンズは書き上げたばかりでまだ印刷されていない『大いなる遺産』の最終章を見せた。 これを読んだブルワー=リットンは、小説の終わり方が暗いので書き変えたほうがいいとディケンズにすすめた。 ディケンズはそのアドバイス通りエンディングを書き変え、それが完成版として発表されることになる。

書き変え後のエンディングでは、エステラとピップは友人となり、おそらく結婚するのだろうと思われる終わり方になっている。 完成されたエンディングは以下の通り:

「わたしはエステラの手をとった。そして、いっしょに廃墟の屋敷跡をでた。ずっと昔、わたしがはじめて鍛冶場をあとにしたとき、朝霧がはれかけていたように、いまは夕霧がはれかけていた。そして、はれわたる夕霧とともに、ひろびろと果てしなくひろがる静かな月明かりのうちには、彼女との二どの別離の陰影は少しも見えなかった」(山西英一訳)。

 

 

 

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