ノーム・チョムスキー90歳 その政治批評の略歴と今でも衰えぬ鋭い批判

f:id:moribayashitaro:20181217053915j:plain

 

 

 

ノーム・チョムスキーは1928年12月7日生まれ。2018年12月で90歳を迎えた。

 

いわゆる「生成文法」を提唱する言語学者として確立した名声を誇る一方、同時代の政治状況に常に積極的に発言を続けてきた人物である。

 

チョムスキー無政府主義者社会主義者でもあった作家ジョージ・オーウェルに影響を受け、1960年代には反ヴェトナム戦争運動に参加していた。

 

知識人として批評活動をするだけでなく直接「行動と反抗」に参加した、と2003年のインタビューで述べている。

 

「ワシントンに来るたびに、最初に思い出すのは催涙ガスの匂いだ。デモに参加しては脱退し、牢屋にい入れられては釈放され、それを何度も繰り返してきた」

 

1967年には作家のノーマン・メイラーといっしょに投獄されたこともあった。

 

1969年、チョムスキーは最初の政治関連書籍となる『American Power and the New Mandarins』を出版した。

 

ヴェトナム戦争アメリカ帝国主義に対する鋭い告発の書であった。

 

チョムスキーはその後も同様のテーマの書籍や論文集を次々と出版し続ける。

 

1983年には『The Fateful Triangle』を出版、アメリカとイスラエルパレスチナの関係を、今の中東問題の根源として深く探求したものだった。

 

チョムスキーは政治批評を重要な言語学記号学の文脈で構築していこうとした。

 

『マニュファクチャリング・コンセント: マスメディアの政治経済学』(1988年、エドワード・ハーマンと共著)などの著書は、チョムスキーの評論方法を学ぼうとする学生や活動家たちにとってバイブル的な存在となった。

 

批判

このように帝国主義の批判者として世界中で尊敬される存在となったチョムスキーだが、カンボジア共産主義勢力「クメールルージュ」が大量虐殺を引き起こしたときには、それを事実上軽視するような発現をしたために長らく批判されてきた。

 

アメリカ市民たちに示されるものは、事実が著しくゆがめられたものだ。クメールルージュの残虐行為は強調され、その一方でアメリカの直接・間接的な行為は矮小化されるか全く無視されてしまうのである」とチョムスキーは「The Nation」に記している。

 

また1995年にボスニアで発生した「スレブレニツァの虐殺」についても、責任をとろうとしないアメリカの戦争犯罪に焦点を向けている。

 

「間違いなく怖ろしい話であり、重大な犯罪だ。しかしこれを「大量虐殺」と呼んでしまうと、この言葉を軽いものにしてしまうだろう」と2011年に語っている。

 

90歳の鋭い批判者

このような批判もある中、チョムスキーは長年にわたって世界でも最も有名な知識人の一人として存在し続けた。

 

休むことなく平和、人権、経済的平等、気候の公平性などをスピーチやメディアを通して訴え続けてきた。

 

またウィキリークスジュリアン・アサンジに支持を表明した人物の一人でもある。

 

チョムスキー共和党であっても民主党であっても、アメリカの帝国主義的な政策にはすべて批判的だった。

 

しかし2017年には、気候変動に対する科学的なアプローチを拒否し続けてきた共和党を「人類史上最も危険な組織」であると批判している。

 

トランプ大統領がパリ合意からの撤退を表明したとき、「地球上に暮らす人類生命の破壊にこれほどの熱心さで取り組んでいる組織が、歴史上かつて存在しただろうか?」ときびしく糾弾した。

 

デモに直接参加することはなくなっても、彼の鋭い批判は90歳の今でも続けられているのである。

 

f:id:moribayashitaro:20181217053546j:plain

 

 

 

www.dw.com