アルベール・カミュ 交通事故死、ノーベル文学賞、そして『最初の人間』

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アルベール・カミュの交通事故死について最も胸を刺される事実は、彼のポケットから使われていない列車の切符が発見されたということだ。

 

カミュは妻や双子の子供たちと一緒にプロヴァンスでクリスマス休暇を過ごした後、パリに戻るところだった。しかし列車の切符を持っていたにもかかわらず、カミュは出版者であり友人でもあったミッシェル・ガリマールが運転するファセル・ヴェガに乗せてもらうことになった。

 

次の小説『最初の人間』についてガリマールと話す機会を望んでのことだったかも知れない。カミュはこの小説の草稿をカ携えてパリに向かっていた。『最初の人間』はカミュアルジェリアでの少年時代をもとに書かれた小説である。

 

ガリマールの妻と娘も同乗していた。4人はトワッセという場所で一晩を明かし、翌日の午後にはパリから160kmほどのところまで来ていた。しかしヴィルブルヴァンという場所から少し離れたところで、ガリマールは急に運転のコントロールを失った。スピードの出しすぎでタイヤがパンクしたと考えられている。

 

自動車は道路から外れ、一本の木に引っかかったあともう一本別の木に激突して大破。カミュは即死し、ガリマールはフロントガラスを突き破って外に投げ出された。ガリマールは5日後に死去、その妻と娘はケガを負ったが命は助かった。

 

「自動車事故で死ぬことほど馬鹿げたことを思い付かない」

『最初の人間』の原稿が、ブリーフケースに入った状態で近くの草の上に落ちているのが発見された。そこにはいっしょにシェイクスピアの『オセロ』とニーチェの本が入っていた。列車の切符はカミュのコートのポケットから見つかった。

 

ガリマール夫人によると、衝突事故の直前、ガリマールが自動車のスピードを上げたとき、カミュが彼に向って何をそんなに急いでいるのかと聞いたという。カミュは自動車でスピードを出すのが嫌いで、自分で運転するときはひどく注意深いドライバーだった。「自動車事故で死ぬことほど馬鹿げたことを思い付かない」とまで言ったことがあった。

 

新聞「Paris-Presse」紙は彼の死を「不条理」という一語の見出しで伝えた。それまで不条理の哲学を追求し書き残してきたカミュの著作と同じくらい、多くの意味を語る言葉だった。

 

人は宇宙が自分の幸せに関心を持っていると思い込んでしまう傾向がある。しかし実際には、宇宙はまったく無慈悲であって、そこにいるどんな人でも無力になってしまうものだ。

 

カミュは生前、ナチズム、ホロコースト、スペイン市民戦争、スターリン主義ヒロシマナガサキへの原爆投下などの恐怖について取り上げた。そして宇宙というものは人間を惨たらしい行いをする敗北者に変えてしまう、ということを描いた。その上で、人は人生の不条理を受け入れ、その外ではなく中に意味を見出すことを説いていたのである。

 

ノーベル賞受賞で結核が悪化した可能性

カミュは死の3年前にノーベル文学賞を受賞している。受賞理由は「この時代における人類の道義心に関する問題点を、明確な視点から誠実に照らし出した、重要な文学的創作活動」というものだった。

 

しかしこの世界的な名誉も、この受賞者には大喜びで受け入れられたわけではなかった。

 

当時カミュは作家としてのスランプと、十代のときに感染した結核の症状が再発したことに苦しんでいた。ノーベル文学賞は通常、すでに最高傑作を書き終えた作家に与えられるものである。受賞によってカミュに向けられたスポットライトは、彼の心配と健康問題を悪化させただけであった。

 

カミュはパリ左岸のあるレストランにいたとき受賞の知らせを受けた。そこのウェイターがラジオでそのニュースを耳にし、カミュに伝えたのである。それを聞いたカミュは両手に頭をうずめ、「骨抜きにされてしまう」と嘆きだしたという。

 

授賞式のためにストックホルムに到着しても、カミュの引っ込み思案はそのままだった。現地では新聞が、カミュがインタビューを断ったことについて吹聴し、さらにアルジェリアで起きていた反植民地運動についてカミュが意見を述べないことを批判するコメントも付け加えた。スウェーデンでは彼を「政治的臆病者」と呼んだ学生グループまで現れた。

 

おそらくこうしたストレスが原因で、カミュ結核の症状は悪化していった。

 

「おそらく、どの世代も世界を作り替えることの責任を感じているでしょう」とカミュノーベル賞受賞スピーチで述べている。「しかしながら、今の世代の場合は、世界を作り替えることではないのです。その任務はもっと大きいもの、つまり世界が自分自身を破壊してしまうことから守ることなのです」。

 

そして『最初の人間』 

『異邦人』の成功により、カミュは最高傑作になるはずの作品が出来上がるのが遅れてしまうと恐れていた。しかし1960年の始めにはノーベル賞受賞後の憂うつから回復しており、次の作品『最初の人間』がこれまでのカミュの最高傑作になるだろうという予感を持っていた。

 

死去の時点では未完であったこの小説は、1994年になって初めて出版された。カミュが事故現場に残した泥まみれの手書きの原稿から、娘のカトリーヌが書き写しを行ったのである。

 

『最初の人間』の主人公はジャック・コルメリという人物であるが、表面上はフィクションでありながらも、実際は "アルベール・カミュ" という人物の登場を自伝的に分析したものであった。

 

 

 

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