アルベール・カミュ『異邦人』最新英訳版 翻訳者のインタビュー

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アルベール・カミュの『異邦人』は今まで4つの英訳が出版されてきた。

 

1946年 Stuart Gilbert訳

1982年 Joseph Laredo訳

1989年 Matthew Ward訳

2012年 Sandra Smith訳

 

最新の2012年の英訳をしたサンドラ・スミス氏が、この小説の翻訳について語ったインタビューがある(2013年)。そこから興味深い個所を抜粋した。

www.theguardian.com

 

 

 

アルベールカミュが長い間読まれ続けてきたのにはいくつかの理由があります。 彼の文体は美しく、文学的なスキルと哲学的な思想が切れ目なく融合されています。読者は様々なレベルで 彼の作品とのつながりを見いだすのです。彼はとても人間的で、彼の政治思想は平和の政治です。 あまり知られていない作品に『ドイツ人の友への手紙』というのがあります。 これは占領下のパリで書かれたもので、歴史、社会、政治そして文学の見事な融合になっています。

 

カミュは不条理の思想と世界のネガティブな側面を描きながらも、その作品全ての中で人生への愛を表現しています。彼は人の持つ基本的な善良さを信じていました。サルトルが悲観的であった一方、カミュオプティミストだったのです。

 

私は何年も前、学生時代に『異邦人』を読みました。そしてすぐカミュのことをもっと知りたいと思い、ほかの本も読むようになりました。彼は私の憧れの存在でした。彼の書き方が好きだったのです。『異邦人』を翻訳してみて、そこに注ぎ込まれた偉大な技能をさらに評価するようになりました。言葉は究極にシンプルですが、そこに象徴されるものや根底にある哲学的思考はきわめて複雑なのです。

 

(現在でも)この本の重要性や関連性についての私の意見は変わっていません。この本は古典ですし、その価値があります。しかし『ペスト』や『転落』も素晴らしいものです。

 

カミュがフランスのラジオ放送のために『異邦人』を全編音読した録音を、パリにある「Librairie Sonore」が公表していることを発見したとき、私はとても興奮しました。そしてすぐにCDを注文したのです。彼の朗読を聴いて、抑揚や休止、息継ぎ、強調の付け方などを頭に入れて翻訳したんです。とても役立ちました。

 

初めて連絡を受けお話ししたときに、みんなが最初に私に聞いたのが「最初の文章をどうやって訳すつもりですか?」ということでした。これは難しいことだったんです。なぜならほとんどの翻訳家は「Mother」という言葉を使っていますが、Motherではフランス語の「maman」という言葉が表す親しい関係を表すものがないと私は思ったからです。フランス語の maman を訳さずそのまま使っている翻訳者もいましたが、これでは読者にそこに含まれている意味を伝えていません。

 

そこで私は「My mother」という言葉を選びました。ある人がほかの人に自分の母親が死んだことをどのように伝えるか、と考えてみたのです。ムルソーは読者に直接語り掛けます。私には「My mother died today」という文章がその機能を果たし、またフランス語の maman の持つ親近感も意味すると思えたのです。その後の文章では「mama」という言葉を使いました。一つにはこの言葉が「maman」と似た音をしているからです。もう一つの理由は、イギリスの読者は「Mum」を好む一方、アメリカの読者は「Mom」を好むことを知っていたので、(そのどちらでもないmamaを使って)大西洋の両側で受け入れられるものにする必要があったのです。

 

ムルソーはアラブ人を殺害した罪で有罪であり、彼自身決してそれを否定しません。その罪で投獄される覚悟もできているのです。故意に犯した罪ではありませんが、陪審員たちはそれを信じません。

 

法制度と宗教によって象徴される社会において、彼はほかの人たちと違うという点で有罪なのです。悔い改めず、無神論者であり、社会の価値に脅威を与える存在だからなのです。