シモーヌ・ド・ボーヴォワール 2万通の手紙をつうじて読者と対話を続けた「人生相談の先生」

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シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、1949年に発表した画期的なエッセイ『第二の性』や、作家仲間であり私的なパートナーでもあったジャン=ポール・サルトルとのオープンな関係で有名になった、いわゆるフェミニストのアイコン的存在だった。

 

最近、彼女宛に出された2万通にも及ぶ膨大な量の手紙が発見され、世界中の読者が彼女に大きな共感を抱いていたことが明らかになった。

 

これらの手紙は『Sex, Love, and Letters: Writing Simone de Beauvoir』と題された書籍にまとめられ、9月15日にコーネル大学出版局から出版される。

 

収められた期間は第二次世界大戦直後から始まり、初期の同性愛解放運動やフェミニスト運動に至るまでの激動の数年間、『第二の性』の出版から晩年の自伝『決算のとき』までを網羅している。

 

手紙の書き手たちは男女問わず、結婚、愛人との関係、性の混乱、中絶から不倫まで、あらゆることについて彼女にアドバイスを求めている。

 

 

 

手紙のショッキングな内容

手紙には彼らの内に秘めた秘密が率直に打ち明けられていた。

 

1962年、当時まだ同性愛が犯罪として扱われていたイギリスから、36歳の女性が率直で衝撃的な手紙を送っている。

 

私はいわゆる倒錯者と呼ばれてしまうレズビアンです。私は友人と何年も愛し合ってきました。私を男に変えるために手術をしてくれる医者の名前を教えてください。

 

1952年には、39歳のフランス人教師が手紙でこう打ち明けている。

 

私は愛も官能的な感情も感じたことがありません。私は必ずしもきれいではありませんが、私の体は十分に魅力的です。しかし誰も私に欲望に震える瞬間を与えてくれませんでした。

 

イギリスでは1967年に中絶手術が合法化されたが、そのはるか以前、ある女性は「汚い」手術台の上で違法な手術を経験した後、「絶望の中ですすり泣いています」と書いている。

 

手紙の3分の1は男性から

この書簡集をまとめたのは、テキサス大学歴史学の准教授ジュディス・コフィン氏。

 

彼女は『第二の性』の研究をしていたときに、パリのフランス国立図書館でこれらの手紙の存在を偶然発見した。

 

「作家たちはファンレターを受け取っても必ずしもそれを保存しているわけではありません」。

 

しかし2万通という手紙をすべて保存していたという事実は、ボーヴォワールが読者を大切にしていたことを裏付け、また彼女がなぜこれらの手紙をすべて保存していたのか、という疑問も提示する。

 

コフィン氏はこの手紙のアーカイブを「20世紀の文化遺産」だと表現している。

 

彼女の意見では、人々はボーヴォワールを聡明な知識人であると同時に、「最も純粋なタイプの過敏症」を持つ人生相談の回答者だとも見ていた。

 

だからこそ、見知らぬ人であるはずのボーヴォワールに、きわめてプライベートな考えを打ち明けることができていたのではないか、と彼女は推測している。

 

コフィン氏は、手紙の3分の1近くが男性からのものであるという事実に特に心を打たれた。

 

ボーヴォワールが扱った広範囲に及ぶテーマに加え、個人的な生活、自己愛、平等と自由を求める女性の探求が、男性にも影響を与え、関心を引き起こしたのです」。

 

「私たちすべてのモデルとなる人」

手紙の内容が非常にプライベートなものであるため、『Sex, Love, and Letters: Writing Simone de Beauvoir』の中では基本的に手紙の差出人を特定していない。

 

実は、ある手紙の書き手がコフィン氏の親しい友人の父親であることが判明したことがあり、その時は気が動転してしまったという。

 

その男性は1964年に「失敗した」私生活、とても若い愛人、その愛人に浮気された時の嫉妬について10ページの手紙を書いて送っている。

 

これに対するボーヴォワールからの3ページにわたる返信を、コフィン氏の友人は見せてくれた。

 

そこでは、相談者が言及したボーヴォワールサルトルとの関係については受け入れず、次のように書いている。

 

あなたのお手紙を興味を持って読ませてもらいました。同情はしますが、あなたは非常に不誠実な行動をしていると思います。あなたの話の中には、サルトルと私との約束のようなものは何もありません。当初、私たちは0歳を少し超えていたくらいのほぼ同い年ですが、あなたは(愛人の)彼女よりも20歳も年上なのです。

 

ボーヴォワールは、サルトルを愛しながらも結婚を拒否したため、多くの共感の手紙が寄せられるようになっていた。

 

ある読者は「あなたは私たちすべてのモデルとなる人です。卑屈さのない、嫉妬のない愛」と手紙に書いている。

 

またコフィン氏は、いくつかの手紙には、家庭内の虐待や暴力との闘いといった問題が事実上タブー視されていた時代に、そられがハッキリと綴られていることを指摘している。

 

ある女性は次のように書いている。

 

私は夫と全く幸せではありません。彼はとても敏感で、とても暴力的です。

 

手紙を書いた人たちは、工場で働く人から医者まで、あらゆる職業にわたる。

 

ボーヴォワールは1986年に亡くなったが、読者の多くは今でも彼女に言葉を寄せ続けている。

 

パリのモンパルナス墓地にある彼女の墓には、そうしたメモが今でも残されているのである。

 

 

 

www.theguardian.com