盗みグセのある学者が売り飛ばしたデカルトの手紙がアメリカの大学図書館で発見されるまで

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学問の世界にいる人でない限り「ググリエルモ・リブリ」という人名を言われても、誰のことだか分からない。

 

このリブリという人物は19世紀のトスカーナの貴族で、今でも一部の人たちには複雑な存在として記憶されているようだ。

 

伯爵であったリブリは高く評価されていた科学者で、数学の名誉教授を務めたのと同時に、悪名高い「本泥棒」でもあった。

 

本泥棒といっても、近所の図書館の蔵書10冊、20冊などのレベルではない。

 

リブリは国境を越えて貴重な書籍の窃盗を繰り返しており、1800年代半ば、イタリアやフランスの図書館から何万冊もの貴重な手稿や資料を盗み出しているのである。

 

その中にはフランスの偉大な哲学者・数学者のルネ・デカルトが書いた72通の書簡も含まれていた。

 

 

 

盗みグセのある優秀な学者

リブリは1803年1月1日にフィレンツェで生まれた。

 

20歳でピサの物理学の教授に任命された早熟な学者で、同時に古代の本や写本に魅了されていた。

 

その後、政治活動に関係したことで逮捕の恐れを感じたリブリはフランスに逃れる。

 

フランスでも優れた学者として活躍し、フランス科学アカデミーに選出され、レジオンドヌール勲章も授与されている。

 

彼には本への強い愛着と膨大な知識があり、これによりリブリは貴重な作品の目録作成を担当する図書館監察官に任命された。

 

しかし、彼はそれらを文書化するという本来の業務を行わず、盗みに走ってしまったのである。

 

逮捕の危機が迫っていることを知らされたリブリは、今度はイギリスに逃亡した。

 

この時、18個の大きなトランクに約3万冊の本や写本を押し込み持ち運んでおり、そこにはガリレオコペルニクスの書籍も含まれていたという。

 

1850年、イギリス滞在中のリブリはフランスの裁判所から窃盗罪で有罪判決を受け、10年の禁固刑を言い渡される。

 

しかしリブリは盗んだ本を売り飛ばし、その資金でロンドンでの上流階級の生活を楽しんでいた。

 

その後リブリは母国イタリアに戻り、1868年に死去している。

 

彼の死を知ったフランス政府は、一部の本については返還を要求し、また売却された書籍については買い戻しを申し出た。

 

一部は返却されたが、他にも何万点もの貴重な作品が消えたままになっている。

 

ネットで発見されフランスに返還

1902年以来、アメリカの小さな大学の図書館で埃をかぶっていたある手紙が、2010年になって急に注目されることになった。

 

その手紙は1641 年 5 月 27 日付け。ルネ・デカルトが同年に出版した論文『省察』に関して書いたものだった。

 

あて先は、この本の出版を管理していたマリン・メルセンヌ神父に宛てて書かれたものである。

 

デカルトを研究する学者たちの間では、この手紙の存在は300年以上前から知られていた。

 

しかし、米国ハーバーフォード大学の図書館に保管されていることは分かっていなかったため、その内容も知られずじまいだった。

 

そして今回、学者たちがこの手紙の内容を調べているうちに、悪名高い「リブリ」が再び脚光を浴びることになったのである。

 

ハーバーフォード大学の図書館は、この手紙を同大学の卒業生の未亡人から寄贈され、そのまま保管していた。

 

その後、オランダのユトレヒト大学の哲学教授がインターネットでこの手紙の存在を発見。

 

ハーバーフォード大学に連絡したところ、すぐにフランスへの返還を申し出てくれたという。

 

そして2010年6月、この書簡は無事にフランス学士院に返還されている。

 

 

 

www.theguardian.com