バートランド・ラッセルが残した「愛は賢く、憎しみは愚か」というメッセージ

イギリスの哲学者・数学者バートランド・ラッセルが生まれたのは1872年、亡くなったのが50年前の1970年。 享年97歳という長寿だった。 もともと数学者として出発したラッセルは、それまで受け入れられてきた論理体系の矛盾を発見し、それは「ラッセルのパラ…

盗みグセのある学者が売り飛ばしたデカルトの手紙がアメリカの大学図書館で発見されるまで

学問の世界にいる人でない限り「ググリエルモ・リブリ」という人名を言われても、誰のことだか分からない。 このリブリという人物は19世紀のトスカーナの貴族で、今でも一部の人たちには複雑な存在として記憶されているようだ。 伯爵であったリブリは高く評…

シモーヌ・ド・ボーヴォワール 2万通の手紙をつうじて読者と対話を続けた「人生相談の先生」

シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、1949年に発表した画期的なエッセイ『第二の性』や、作家仲間であり私的なパートナーでもあったジャン=ポール・サルトルとのオープンな関係で有名になった、いわゆるフェミニストのアイコン的存在だった。 最近、彼女宛に出…

フランツ・カフカってどんな人?を知るための雑学

(https://www.explica.co/franz-kafka-curiosities-of-the-author-of-metamorphosis/) フランツ・カフカは生前ほとんど評価されなかったことから、謎めいた作家として記憶されているが、さすがに没後1世紀にわたって様々な研究がなされ、今では20世紀で最…

ドストエフスキー『罪と罰』をサスペンスの神様ヒッチコックが映画化しなかったのはなぜか?

ドストエフスキーの『罪と罰』は文豪の代表作のひとつであり、愛読者も多い。映画化やドラマ化も数多くされてきた。 比較的親しまれているこの長編小説だが、意外と知られていない興味深い豆知識をまとめた。 もともと『罪と罰』は一人称で書かれる予定だっ…

英国の詩人マクミランによる「詩を楽しむためのビギナーズガイド」

イギリスの詩人アンドリュー・マクミラン(Andrew McMillan)による、「詩の読み方・楽しみ方」について書かれた文章。 私はこのマクミランという詩人を知らなかったため調べたところ、まだ若い詩人だがすでに数冊の詩集を出版している一方、マンチェスター…

ジョン・アップダイクから若い作家へのアドバイス「一日一時間書きなさい」

2004年6月、アメリカの作家ジョン・アップダイク(1932~2009年)はアカデミー・オブ・アチーブメント(若い世代の活動支援を行う非営利団体)のインタビューに応じた。 広範囲に及ぶ話題の中でアップダイクは、まだ活動を始めたばかりの作家へのアドバイス…

ダニエル・デフォー『ペストの記録』にも「無症状の感染者」の問題が取り上げられていた

1665年、ロンドンは疫病の大規模な流行に襲われていた。 「ロビンソン・クルーソー」の生みの親であるダニエル・デフォーは、そのころのロンドンの様子を『ペストの年の日記』に書き残している。 フィクションではなく、詳細な研究に基づいたいわゆるドキュ…

作家125人が選んだ「世界最大の文学作品 トップ10」

フランシス・ベーコンはかつて「味わうべき本、むさぼり読むべき本というものがある。しかし、じっくりと噛みしめ、しっかりと消化するべき本はほんのわずかだ」といった。 しかし私たちの時間は限られており、その一方で読む必要のない本を避けつつ「じっく…

ジョージ・オーウェルの駆け足の46年間を簡単にまとめた

// ジョージ・オーウェルの本名はエリック・アーサー・ブレアといい、1903年6月25日にインドの東部に生まれた。 父親はイギリス高等文官だった。 イングランドに戻って教育を受け、イートン校に進学。 その後インド警察に入り、当時イギリス領だったビルマで…

ジョージ・オーウェル『1984年』あらすじ

一般党員の一人であるウィンストン・スミスは「真理省」の記録部門で働き、「歴史の書き換え」という職務を担当している。 ウィンストンはビッグ・ブラザーに支配された社会に満足しておらず、少なくとも頭の中だけでも逃れようと、日記を書き始める。 日記…

T.S.エリオット ミュージカル『キャッツ』の原作は友人の息子向けに書かれた詩集

『キャッツ - ポッサムおじさんの猫とつき合う法』は詩人T.S.エリオットによる詩集。 シリアスな詩集ではなく、子供向けに面白おかしく書かれた作品だった。 シリアスな詩人による、ユーモラスな作品 19世紀のイギリスで活躍した画家のエドワード・リアはユ…

エミール・ゾラの不可解な死 一酸化炭素中毒が直接の原因だが事実上の殺害か?

1902年、おそらく当時もっとも有名だったフランスの作家が、62歳で奇妙な死を遂げた。 9月28日 エミール・ゾラと妻のアレクサンドリーヌは、出先からパリの自宅に戻ってきた。 雨の降る寒い日で、帰宅するとすぐに暖炉に火がつけられた。 窓は閉められ、ドア…

ディケンズ念願の大邸宅 その支払いのために始めた「朗読ツアー」

1856年3月、チャールズ・ディケンズはケント州のロチェスターに不動産を購入した。 「ギャッズ・ヒル」と呼ばれるこの大邸宅は1,700ポンド(当時)。 この大金を支払うために、ディケンズは「公開朗読ツアー」というアイデアに行き着いた。 各地をまわり、自…

ブロンテ姉妹を描いたTVドラマ『トゥ・ウォーク・インビジブル』

『トゥ・ウォーク・インヴィジブル(To Walk Invisible)』(2016年)はイギリスの作家、ブロンテ三姉妹を題材にしたテレビドラマである。 ブロンテ姉妹については、イギリスの片田舎に暮らしながら文学作品を書いた3人であるということはよく知られており、…

アルベール・カミュの思想「不条理」を理解したい(入門レベル)

アルベール・カミュの小説は比較的読みやすい一方、彼の思想を知る手掛かりとなるはずの『シーシュポスの神話』は難解な哲学エッセイになっていて、そのポイントをつかむのが容易ではない。 こちらの記事(↓)では、そんなカミュの思想をある程度分かりやす…

エドワード・サイードが見たサルトル ボーヴォワールやフーコーも同席したその残念な面会

アメリカの文学研究家エドワード・サイードは1979年にパリを訪れ、そこでジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、ミッシェル・フーコーと面会する。 中東和平を議論するコンファレンスにサルトルとボーヴォワールから招待されてのことだっ…

バルザック『ゴリオ爺さん』 あらすじ

// 時は1819年、場所はパリ。法学生のウージェーヌ・ド・ラスティニャックは、ほかの住人たちとともに下宿の一部屋で暮らしていた。 同じ下宿の住人の一人に「ゴリオ爺さん」と呼ばれている老人がいる。ゴリオ爺さんはかつて大変裕福だったが、その富のほと…

エドガー・アラン・ポー フェイクニュースと「クーピングによる死」という2つのエピソード

アメリカ文学の父(の一人)であるエドガー・アラン・ポーにはさまざまなエピソードが残されているが、以下の2つは特に興味深い(文学とはほとんど関係のない話)。 フェイクニュース 1844年、エドガー・アラン・ポーは「New York Sun」紙上で、大西洋横断飛…

労働者階級の味方だったディケンズが反対したイギリスの「窓税」

ほとんどの建物に設置されている「窓」だが、これが光や外気を屋内に取り入れるための “ぜいたく品” であり、窓のある部屋に暮らすことがある種の ”特権” だった、というのは、現代に暮らす私たちには想像できないことである。 政府はその特権に課税するよう…

アルベール・カミュ『異邦人』最新英訳版 翻訳者のインタビュー

アルベール・カミュの『異邦人』は今まで4つの英訳が出版されてきた。 1946年 Stuart Gilbert訳 1982年 Joseph Laredo訳 1989年 Matthew Ward訳 2012年 Sandra Smith訳 最新の2012年の英訳をしたサンドラ・スミス氏が、この小説の翻訳について語ったインタビ…

オースティンからローリングまで 文豪16人が愛用した文房具あれこれ

どの世界のプロたちも自分の「商売道具」には強いこだわりを示す。文学の世界もまたしかり。世界の文豪たちはどんな文房具を愛用していたのだろうか。 ウラジミール・ナボコフ ナボコフはインデックスカードに自分の小説の筋書きを描く際は、鉛筆「Eberhard …

ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』の英訳がギュスターヴ・ドレのイラスト入りで出版

ギュスターヴ・ドレのイラストが施されたフランソワ・ラブレー著『ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語』の英訳版が、500冊限定で出版される。 「第一之書」から「第五之書」にいたるすべてが全二巻におさめられるもので、英訳版がドレのイラストととも…

ドストエフスキーをよく知るために もう少し深くて詳しい3つの話

ドストエフスキーについてはすでに「ドストエフスキーってこんな人 あらためて学ぶ10の予備知識」で触れているが、こちらの記事「GREAT EUROPEAN LIVES: Crime and Punishment author Fyodor Dostoevsky」では以下についてさらに詳しい話を読むことが出来る…

バルザック 債権者に追いかけられながら数多くの傑作を残したリアリズム文学の祖

オノレ・ド・バルザックはその生涯をかけて90を超える作品を書き上げた。 しかし彼は単に書きたい放題書き散らした多作の作家ではなかった。訂正や書き直しなども無数に行っていた形跡が残っている。 こうして書かれた彼の傑作群は、「人間喜劇」として一大…

トルストイ「私に影響を与えた本」年齢別&影響度別リスト

1891年、ペテルブルグのある出版社が2,000人もの著名な人たちに彼らのお気に入りの本を紹介してもらうという計画を進めていた。 トルストイもこの依頼を受け、それに応えた。 トルストイはリストを作るのが好きな人だったともいわれているが、ここでも自分が…

サルトルはなぜノーベル文学賞を辞退したのか?

ジャン=ポール・サルトルは1964年、ノーベル文学賞を辞退した。 サルトルはスウェーデンのメディアに送ったコメントの中で、辞退はパフォーマンスでもなければ、衝動的に行ったわけでもない、と述べている。彼の長きにわたる主張に沿った行動として辞退した…

ロマン・ロランとタゴール 二人の人道主義者の長きにわたる友情

「過去の戦争の教訓が失われて始めているという思いで、私の心が悲しみの中に入り込んでしまっているとき、あなたの手紙を受け取り、その希望のメッセージによって励まされました」。 これはインドの詩人ラビンドラナート・タゴールが1919年6月24日、フラン…

シモーヌ・ヴェイユ生誕110周年 「行動の哲学者」素顔の一端を知る

// シモーヌ・ヴェイユは1909年2月3日に生まれた。 ヴェイユの仕事は学校の教師であったが、この職業は断続的に続けられた。健康問題や政治活動への参加など、中断の理由はさまざまだった。 ヴェイユはグランゼコールのひとつである「高等師範学校」を卒業し…

詩人ロバート・バーンズを祝う「バーンズ・ナイト」とは?

// 「バーンズ・ナイト」(Burns Night)とはスコットランドの詩人ロバート・バーンズを祝う日のことである。 1796年にバーンズが亡くなった後、彼の友人数人が故人をしのんでディナーの集いを開くことになったのがその始まりだった。 このきわめてプライベ…