バルザック 債権者に追いかけられながら数多くの傑作を残したリアリズム文学の祖
オノレ・ド・バルザックはその生涯をかけて90を超える作品を書き上げた。
しかし彼は単に書きたい放題書き散らした多作の作家ではなかった。訂正や書き直しなども無数に行っていた形跡が残っている。
こうして書かれた彼の傑作群は、「人間喜劇」として一大絵巻物にまとめられつつあった。
借金取りのおかげで多作の作家に?
バルザックはこうした旺盛な文学活動から、それなりの稼ぎを得ていた。
しかし彼は非常に金遣いが粗く、その派手好きなライフスタイルが原因で、その人生は債権者に追いかけられどおしだった。
結局死ぬまで借金から逃れることが出来ず、むしろこれが原因で多作の作家にならざるを得なかったともいえる。
債権者の追跡から逃れるため、彼はしばしば偽名を使い、たびたび引っ越しをしなくてはいけなかったほどだった。
彼の金遣いの粗さを物語る数々の物品が今でも残っている。
例えば、バルザックは一時期58対の手袋を持っており、それに対する請求書が現存している。またファッションの最先端だったテイラーや宝石商から出された請求書もやはり残っているという。
宝石がちりばめられたステッキや赤い革で装飾された書斎、バルザックが敬愛していたナポレオンの胸像など、そのほかにもぜいたく品がたくさん確認されている。
1828年、バルザックの友人ラトゥーシュは、手紙でこう書いている。
君は全然変わっていない。カッシーニ通りに部屋を借りておきながら、そこにはいることは決してない。君の心はカーペット、マホガニーのタンス、豪華に製本された本、余計な衣服、銅板彫刻などに支配されてしまっている。使うことのない燭台を求めてパリじゅうを探し回り、そのくせ病気の友人を見舞うために必要な少額の金すら君のポケットには残っていないのだ。二年間かけて君自身をカーペット屋に売り飛ばしているようなものだ。
しかし、こうした乱費を続けながらも、バルザックは毎日何時間も執筆に勤しんでいた。
以下はバルザック自身が1833年に自分の一日の “日課” を述べている文章である。
私は夕方6時か7時にベッドに入る。ニワトリのように。そして深夜1時に目を覚ます。そのまま8時まで仕事をする。8時になると再びベッドに入って1時間半眠る。そして食事をし、ブラックコーヒーを1杯飲み、さらに4時まで執筆をする。それからお客さんを迎え、風呂に入り、外出し、夕食後ベッドに入る。この生活を今後数か月続けることになる。自分を借金の雪に埋もれさせないためにだ。
こうした執筆生活をしながらも、書斎の彼はモロッコスリッパをはき、白い僧侶のようなローブを着て、はさみと金のペンナイフが垂れ下がったベネチアンゴールドのベルトを締めていた。
また、バルザックはこうも言っている。
私は仕事の悪魔に突き動かされている。沈黙から言葉を、夜からアイデアを探し出しているのだ。