エミール・ゾラの不可解な死 一酸化炭素中毒が直接の原因だが事実上の殺害か?
1902年、おそらく当時もっとも有名だったフランスの作家が、62歳で奇妙な死を遂げた。
9月28日
エミール・ゾラと妻のアレクサンドリーヌは、出先からパリの自宅に戻ってきた。
雨の降る寒い日で、帰宅するとすぐに暖炉に火がつけられた。
窓は閉められ、ドアはいつも通り鍵がかけられる。ここ数年、ゾラのもとには数多くの殺人予告が届いていたのである。
しかしその晩、二人は知らずのうちに一酸化炭素中毒にかかっていた。
9月29日
朝の3時、二人は気分が悪くなり目を覚ました。
アレクサンドリーヌは家政婦を呼ぼうとしたが、ゾラはそれを止めた。 単に消化不良が原因だろうと思ったからである。
これが命取りになった。
その後、ゾラはおそらく窓を開けようとベッドを起き上がったまま床に倒れ込んだ。 その時、アレクサンドリーヌは体を動かすことが出来ない状態になっていた。
朝の9時、部屋の異変を察知し、ドアが強制的にこじ開けられた。
ゾラは床に倒れたままで、すでに死亡している(か瀕死の)状態で発見され、アレクサンドリーヌはベッドの上で意識不明の状態だった。
医者が呼ばれ、ゾラには人工呼吸が20分にわたって行われたが息を吹き返すことはなかった。
アレクサンドリーヌは病院に運ばれ、意識を取り戻した。
午後、アレクサンドリーヌは夫の愛人だったジャンヌ・ロズロ、およびジャンヌと夫との間に生まれた二人の子供へこの件を連絡させた。
(ゾラが亡くなったパリの家)
I went here today, N° 21 Rue de Bruxelles in Paris, the house where Emile Zola died in suspicious circumstances. pic.twitter.com/znx3ehKkYg
— soundlandscapes (@soundlandscapes) September 3, 2016
ジャンヌはすぐにゾラは殺害されたのだと思い込んだ。
愛人ジャンヌ・ロズロはゾラよりも27歳若く、1888年からゾラと関係を持ち続けた。
正妻のアレクサンドリーヌはゾラとの間に子供が出来なかったので、ゾラとジャンヌとの関係をしぶしぶながら認めていた。
こういう関係があったせいで、ジャンヌ本人がゾラの不可解な死に関与しているのではないかと疑われた。
しかし、他にも疑惑の目を向けられた人たちがいた。
いわゆる「ドレフュス事件」を通して、ゾラは当局を強く批判したことから国家主義者たちから敵視される存在となっていたのだ。
ゾラの死後、パリの自宅でまだ閉じられていない棺桶に横たえられているとき、アルフレッド・ドレフュス本人が弔問に訪れている。
またジャンヌも二人の子供と共にこの部屋にやって来た。 彼らがパリのゾラの自宅に来るのは初めてだった。
10月5日
ゾラはモンマルトル墓地に埋葬される。
5万人を超える人々が集まり、大臣たちや政府要人、また炭鉱労働者の代表者なども列席した。
この葬儀にもドレフュスは出席し、作家アナトール・フランスが弔辞を読み上げた。
事件の可能性も視野に捜査される
ゾラは病死ではなく殺害されたのだ、といううわさは広まっていった。
パリの自宅では実況見分が行われ、実際に暖炉に火をつけて室内にモルモットを置き去りにしてみたが、一酸化炭素の発生はほとんど確認できず、モルモットも無事だった。
煙突も解体された。
しかし、煙突内の多量の煤(すす)があまり掃除されていない煙突であったことを示しているだけで、とくに重要な証拠となるものは何も発見されなかった。
結局、検視官はゾラの死は自然死だったと発表する。
殺害を告白する手紙
1953年、フランスの新聞に一通の手紙が送られた。
その手紙は、ゾラは反ドレフュス派の人物によって殺害された、というという内容だった。
手紙を書いた人物とその同僚は暖炉の煙突を修理する業者で、彼らがゾラの隣家の屋根を修理したとき、意図的にゾラの家の暖炉の煙突をふさいでおいたのだ、と書かれていたのである。
手紙を書いた当人は1927年に亡くなる直前、死の床で懺悔として告白していたという。
この話はいまだにその真偽は定かではない。
「いまだに」というより、今後も確認することは不可能であるが、ゾラの研究家の一部は事実として受け止めている。
パンテオンへの埋葬とドレフュス銃撃事件
ゾラの遺体がモンマルトル墓地に埋葬されていたのは6年間ほどであった。
1908年、ゾラの遺体はフランスの偉人たちが埋葬されるパリのパンテオンへ移送された。
国家主義者たちはこのゾラのパンテオン埋葬には猛反対で、移送を止めようという運動も起きた。
警察や兵隊が駆り出され国家主義者たちの妨害運動を抑え込み、移送は何とか無事に終わらせることが出来た。
翌朝、フランス大統領も出席した再埋葬の儀式が執り行われる。
アレクサンドリーヌ、ジャンヌ、そして二人の子供たちも出席した。
ドレフュス事件の余波はこの場にも及んだ。
再埋葬の儀式にも出席していたアルフレッド・ドレフュスは、遺体安置台の近くにいた男に拳銃で2発発砲された。
ジャーナリストのルイ・グルゴーリという男で、その場で警官に取り押さえられたが、ドレフュスは腕に軽傷を負った。
すべての儀式が終了すると、アレクサンドリーヌ、ジャンヌ、二人の子供はゾラが埋葬されている地下室へ降りて行った。
ゾラの遺体は同じく19世紀に偉大な作品を残した文学者ヴィクトル・ユーゴ―の隣に埋葬されている。
出典:
The Strange Death of Émile Zola | History Today
Sur les pas des ecrivains : Au 21bis rue de Bruxelles