ジョージ・オーウェルが結核に感染したのは「スペイン内戦に参加中」
ジョージ・オーウェルの死因については、結核による内出血であることはすでに知られていた。
しかし彼がどこで結核に感染したかについては、はっきりとしたことは分かっていなかった。
このたび、彼の書き残した手紙を科学者が検査することで、ある強力な手がかりが発見された。
スペイン内戦
1936年末、オーウェルはフランコ政権の台頭に対抗する内戦に参加するためスペインにわたった。
1937年6月イングランドに戻ったオーウェルは、翌7月にソ連(当時)の雑誌「フォーリン・リテラチャー」の編集者だったセルゲイ・ディナモフという人物に手紙を送っている。
この手紙が、このたび科学者による検査の対象となった。
この検査を行ったグレブ・ジルベルスタイン氏は、かつてウクライナの作家ミハイル・ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』の原稿を検査して、その肝臓病の痕跡をつきとめた人物である。
ジルベルスタイン氏はアセテート・フィルムを使って、オーウェルの手紙からバクテリアとモルヒネの痕跡を抽出することに成功した。
そのバクテリアの特徴をスペイン内戦に参加した人たちの医療記録と付き合わせたのである。
そこから、オーウェルがスペインの病院で結核に感染した可能性がある、という結果が得られたという。
オーウェルは首に銃弾を受け、スペインの病院に入院していたことがあった。
スペイン内戦は、抗生物質ペニシリンが使用されなかった最後の戦争であった。
当時の感染の度合いは非常に高く、また病院の衛生管理は大変お粗末だった。
そのためスペインの病院に収容された負傷兵たちの多くが病気に侵され、死亡率が高かったのである。
こうした当時の状況も、オーウェルが結核に感染したのがスペイン内戦に参加していたときである可能性を高くしている。
ジルベルスタイン氏はまた、不衛生な食べ物から完成した可能背も否定できないとしている。
なお、同じく今回の検査で抽出されたモルヒネは入院中に使用された痛み止めに含まれていたものである可能性が高いという。
健康には恵まれなかった生涯
オーウェルの伝記作家であるDJ・テイラー氏は、ジルベルスタイン氏の発見が事実であったとしても驚くことではないと語っている。
オーウェルはもともと気管支に障害を持って生まれている。
20代のときには当時のビルマでデング熱に感染し、30代では何度も肺炎を発症した。
1938年には肺炎がひどく悪化し救急車で運ばれたこともある。
その後、オーウェルはスコットランドにあるジュラ島に移住し、結核の治療のために入退院を繰り返しつつ最後の小説『1984年』の執筆に専念した。
1949年6月、『1984年』を出版。
1950年1月、ジョージ・オーウェルは46歳で死去した。