国家や教会からの弾圧にもかかわらず多くの支持者をひきつけた「トルストイ主義」
1870年代、トルストイは『アンナ・カレーニナ』の雑誌連載および単行本出版により、大きな成功をおさめた。
その一方で、彼は自分の貴族出身の家柄や作家としての成功によって得た富や名声を快く感じなくなり、悩み始めていた。
トルストイは心理的・精神的な危機に陥り、その結果、すでに組織化されていた宗教の主義・教義に対する自分の信仰に疑いを持つようになった。
トルストイの目には組織化された宗教は腐敗していると映り、また彼自身が解釈していたイエス・キリストの教えと合わないと感じたのである。
トルストイは宗教上の儀式を否定し、さらには国家の役割や土地の所有という概念にも批判を加えるようになった。
こうした発言のために、トルストイは当時のロシアでもっとも権力のある組織との衝突に直面する。
ロシア政府は、その貴族出身という立場にもかかわらず、トルストイを警察による監視対象に指定した。
こうしてロシアの権力はトルストイの人気が低下することを望んでいたのである。
しかしその一方で、彼は自分自身の信仰というものをすでに確立していた。
それは、平和主義とキリスト教無政府主義とを融合させ、倫理的・身体的に禁欲な生活を送るというものだった。
この考え方には多くの崇拝者が賛同し、権力側の意向とは裏腹にトルストイの人気はさらに高まっていくことになった。
トルストイを精神的な師と仰ぐ「トルストイアン(トルストイ主義者)」たちの中には、彼の暮らす邸宅の近くに移り住むものまで現れた。
こうしたトルストイ主義者たちはロシアのみならず日本を含めた世界中に広がっていった。
彼らの多くは必ずしも長い期間トルストイに “帰依” したわけではなかったが、一部は現代でもその思想に基づく活動を続けている人たちがいる。
トルストイの思想に影響を受けた人物の中でもっとも有名なのは、マハトマ・ガンディーである。
ガンディーは南アフリカにある植民地の一部に「トルストイ」と名づけ、またトルストイの生前には文通も行っていた。
ガンディーは自分の精神的・哲学的な発展はトルストイに負っていると述べており、特に非暴力の思想はトルストイの教えに影響を受けて確立したものであったという。